「大学行く意味ない論」に対する私の答え

Twitterなどでよく論争になる「大学に行く意味ない」という話。今回は自分の中でこの問題についてある程度明確な答えが言語化できたので、公の場に書き残しておこうと思う。

「大学に時間とお金を使うくらいなら、もっと役に立つことに時間を使った方がいい」「大学に行くくらいなら、オンラインサロンに入った方がいい」「これからは好きなことを仕事にする時代だから、大学など行く必要はない」というのは、「大学に行く意味ない派」のよくある論調であると思う。

実際私も、1年くらい前までは大学に行く意味ない派のインフルエンサーに多大な影響を受け、「大学なんて行く意味ない!」と声高に叫んでいたクチである。

がしかし、この一年オンラインサロンに入った人や、大学中退者、インフルエンサーなどの多く人を観察していて思ったことは、「大学に行く意味ない」というのはインフルエンサーのポジショントークであり、それに影響され大学を辞めるのは非常に短絡的な行動であるということだ。

では、「大学に行く意味ない」というのはインフルエンサーのポジショントークである理由と、それに影響され大学を辞めることが短絡的であると思う理由について述べていきたい。

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「大学に行く意味ない」はポジショントークである

結論から言うと、「大学に行く意味ない」と発信しているインフルエンサーの多くは、オンラインサロンや情報商材といった商品を持っている。そして「大学に行く意味ない」という発言は、ただ単にその商品に誘導させるためのセールストークに過ぎないのだ。

*もしくは、学歴がないことにコンプレックスを感じており、その認知的不協和の解消のために「学歴なんて意味ない」と言っている人もいるかもしれない。

オンラインサロンへの入会や、情報商材を買わせたいという目的が先にあって、その目的を達成するために、「大学では役に立つことを学べないから」「学費が高すぎるから」「これからは実力主義の時代だから」と都合の良い理由を後からつけている。

そして、まだモノをよく知らぬ18〜22くらいの大学生は、何色にでも簡単に染まってしまうがゆえに、「大学に行く意味ない」のような一見もっともらしく見える言説に引っかかってしまう。

加えて、実際にインフルエンサーに煽られ大学を辞めていった人たちの言動を見ると、見るに耐えないものが多い。結局「好きなことで生きていく」「会社に縛られず自由に生きていく」などと甘い言葉に流されるだけで、何のスキルも実績もないがために、フォロワーの増やし方やオンラインサロン、Twitterスポンサー、クラウドソーシングで低単価で誰でもできる仕事をするなど、焼畑農業的な稼ぎ方をするしかなくなっている。

これでは返って、自由や好きなことで生きていくことから遠ざかっており、インフルエンサーたちの養分になっているに過ぎないのではないかと私は思う。

なにより、「好きなことで生きていく」「自由に生きていく」というのは言葉にするのは簡単だが、それを実現するのは口で言うほど簡単なことではないということを過去の自分も含め、インフルエンサーに煽られている人は理解しなければならないと思う。

大学に行く意味は本当にないのか?

次に、大学に行く意味は本当にないのか?ということについて言及したい。私は大学に行く意味、より正確にいうと、ある一定のレベルを超えた大学を卒業することは大きく3つの意味があると思う。

一定の処理能力があることの保証となる

まず第一に、一定のレベルの大学を卒業した人は受験勉強をこなし、大学の勉強をこなしてきたわけなので、「一定の処理能力があることの保証になる」ということだ。

処理能力に関して、学歴のある人とそうでない人を比べた際に明らかに差がある。これは実際に私の身近でよく観測する例だが、プログラミングの勉強を始める際、高卒の人と高学歴な人とでは、明らかに高学歴な人の方が習得が早い。何より、何かを勉強するとなった時の努力量や学習に対する姿勢が決定的に違う。

もちろん大学を出ていなくとも処理能力や理解力が高く優秀な人はたくさんいるが、その総数は明らかに高学歴な人の方が多い。

あらゆる環境やチャンスに恵まれる

第二に、一定のレベルの大学を卒業した人は、就職や転職、就職後のポジションなどあらゆる環境において恵まれるということ。

人が成長していくためには正しい方向性の努力と良い環境の両方が必要であると私は考えている。そして、その良い環境は高学歴な人ほど恵まれる傾向にある。

なぜなら、「いい大学を出てるということは、この人はきっとこの仕事でもいい結果を残すだろう」というハロー効果がはたらいたり、いい大学を出るまでの今までに積み上げてきたものの信頼があるからだ。

近年はフリーランスは最高で、勤め人は悪だという風潮が多いが、就職というのも見方を変えれば良い側面はたくさんある。例えば、莫大な予算のかかる広告の運用や、大規模なプロジェクトに参画すること、会社のリソースを使ってスキルや経験を効率的に積むことなどだ。

仮に将来独立してフリーランスを目指すにせよ、就職してスキルや経験を積んだりすることは、多くの場合で必要となり、その会社で経験を積むには学歴があるほど有利なのだ。

さらに、「環境」という意味合いとは少し異なるが、大卒でない場合海外で働くために就労ビザを取ることが非常に困難になるという面もある。

 

加えて、近年は「学歴は不問です」という会社が目につくことが多いが、あれは少し嘘だ。「学歴は不問です」という表現には、「私たちは人を学歴なんかで判断せず、人の本質を見て判断してます」という意味が込められており、どんな学歴の人間でも等しくチャンスがあるというより、企業のイメージ戦略という意味合いが強い。

もちろん、そのような学歴不問の企業が大企業ほど学歴を重視しておらず、学歴がなくともチャンスがあることは事実だが、学歴が全く関係ないというわけではない。たとえ学歴不問のベンチャー企業であっても、ハロー効果により無意識に人を学歴で判断している。

この事実を認識せず、学歴不問というのを真に受けていたら現実を見誤ってしまうことになるだろう。

モラトリアム期間を利用できる

第三に、大学というモラトリアムの期間、つまり社会に出るまでの猶予期間を数年間過ごすことができることだ。

この猶予期間は使い方次第では、大学のリソースを利用して、身につけるのに時間のかかる能力、つまり、体系的な知識の整理能力や、大量の情報処理能力、多角的視野、論理的な思考力、語彙力、コミュニケーション能力、複雑性を理解する能力といった抽象的な能力や、英語やその他専門的な研究をする時間にあてることが可能なのだ。

上記の能力は社会人になってから身につけることは時間がないため非常に困難であると、実際に社会人の多くを見ていて思う。

また、本などをたくさん読み、いろんな人の考えに触れ、ゆっくり思考する時間があるがゆえに、人生の方向性を決めたりすることができるのも重要な要素の1つである。

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まとめ

まとめると、若いうちの4年で残りの何十年、就職、転職、転職後の環境、海外で働くなどの人生の選択肢を増やすことができるため、一定のレベルの大学を卒業することは決して費用対効果の悪い投資ではないと考えるとともに、インフルエンサーに踊らされ、大学をやめようと思ってる人はもう少しよく考え直した方がいいのではないかと思う。

将来どのようなものが価値を持つかわからない不確定要素が多すぎる世の中で、大卒という長い間ある程度価値の保証されてきた資格を有することは、人生のリスクヘッジのためにも悪い選択ではないと私は思う。

以上がここ数年「大学は意味があるのか」について考えた自分の答えである。

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ABOUTこの記事をかいた人

慶應の通信課程に通う大学生。現在はフリーランスとしてコーディングなどの仕事を受けながら、受託開発してる会社でインターンしてます。